【キリシタン大名】高山右近と金沢城・高槻城の関わり
織田信長や豊臣秀吉に仕えたキリシタン大名、高山右近(1552~1615年)
家康に国外追放されてもなお、信仰を捨てなかった高山右近。
そんな右近が、没後400年の節目の年を迎える2015年、世界から注目を集めています。
なんと年内にもマザー・テレサらと並ぶカトリック教徒の崇敬対象「福者(ふくしゃ)」としてローマ法王庁から認定されます。
高山右近と金沢城の関係は?
天正15年(1587年)にバテレン追放令によって除封された高山右近が利家に呼ばれて、金沢城の大改造を行っています。つまり、高山右近は金沢城の改築に携わったということですね。
金沢城はいつできたの?
金沢城の歴史はというと、、
・天文15年(1546年):空堀や柵などを備える城造りの寺院のであった尾山御坊(金沢御堂)が建立され、加賀一向一揆で加賀の支配権を得た本願寺の拠点となった。
↑最初は一揆の拠点だったんですね。。
・天正8年(1580年):佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、金沢城と改称して用いた。
↑織田信長が一揆を攻め落とし、跡地に金沢城を築いて佐久間盛政を置いた。
・天正11年(1583年):賤ヶ岳の戦いの後、羽柴秀吉(豊臣秀吉)から加増を受けた前田利家が4月28日(新暦6月14日)に入城し、尾山城と改称した。
↑ここで前田利家が城主になってます。
・天正15年(1587年)バテレン追放令により除封されたキリシタン大名高山右近が利家に呼ばれ、尾山城の大改造を行った(再び金沢城に改称されたのはこの頃といわれている)。
↑右近をかくまったのは、キリシタンに好意を持っている利家ならではですね。
かくして高山右近=金沢城というイメージができたんですね。
高槻城にも関わりが?
高槻城にも高山右近の像がありますね。
実は高山右近は高槻城の城主でもあったんです。
高槻城は、室町時代入江氏の居城でしたが、織田信長に滅ぼされ、その後和田惟政、次いで高山右近が城主となっています。
二重の堀を巡らしたといわれる、第2次改修(1573年 – 1592年)は高山右近によって執り行われました。
キリシタンとして追放されながらも2つの城を改築した高山右近。ほんとに感心しますね。
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